19世紀末、イギリス・ロンドンを震撼(しんかん)させた「ホワイトチャペル連続殺人事件」は、「切り裂きジャック」という謎の殺人鬼の名前とともに人々の記憶に深く刻まれ、今もなお世界一有名な未解決事件として多くの人に知られている。
事件の渦中(かちゅう)にあった1888年の英国では、「切り裂きジャック熱」とでも言うべき社会現象が発生していた。ある者は我こそは切り裂きジャックと喚(わめ)き、またある者は切り裂きジャックを捕まえようと珍道中を繰り広げた。
当の殺人鬼とは違い、歴史に名を残すことなく消えて行った奇人・変人たちの有様を見てみよう。
目次
「切り裂きジャック熱」にうなされる英国民
「切り裂きジャック熱」はその名の通り、熱病のごとくイギリス中に広まり、数々の奇談を生んだ。
模倣(もほう)する者たち
1888年10月10日水曜日、ロンドンから遠く離れたリバプールに熱病の罹患(りかん)者が現れた。
とある公園での出来事である。一人の男が女性に近付いてきて、付近に「ふしだらな女性(loose women)」はいないかと尋ねた。何てケシカラン奴だ!
しかし、それだけでは終わらなかった。男は長くて薄い刃のナイフを取り出すと、「リバプールでもロンドンと同じくらい多くの女性を殺す。最初の犠牲者の耳を『リバプール・デイリー・ポスト』の編集者に送る」と言ったのである。その恐怖たるや想像してみて欲しい。

※イメージ
あまりの恐ろしさに女性は逃げ出し、男の姿は二度と見えなかった。この件を受けてか、リバプールでは一部の女性がナイフで武装しているという(『ピーターヘッド・センチネル』1888年10月16日より)。
熱病はウェールズのニースにも及んだ。
10月27日土曜日の夜、オールドマーケット通りのファルコンインに「自分は切り裂きジャックだ」と主張する男が現れた。男はとても粗野(そや)な外見をしていたという。
その際、男はキラキラした武器を見せびらかし、「ナンシー=ブル」という女性を切ると脅迫(きょうはく)したと言われている。ウィリアム=ペリンという名の男がこの自称・切り裂きジャックを捕まえようとし、乱闘に発展。現場に駆け付けた警察官のヴィンセント=ジョーンズが男を逮捕した。
見ものだったのはここからである。警察署への連行中、後ろから大勢の興奮した群衆が付いてきて、その多くが男をリンチしたがっていたという。まるで乱暴なパレードだ。
警察署に着いても押し寄せる暴徒に取り囲まれており、警官と男はやっとの思いで通路を確保して署に入った。男の正体は、ヘンリー=ヴァンという名の住所不定者だった。すぐにボディーチェックが行われたが、所持品に武器は見つからなかったという。(『南ウェールズ・デイリーニュース』1888年10月29日より)。彼は一体 何がしたかったのだろうか?
酔った勢いでつい
酒に酔った挙句(あげく)、「切り裂きジャック熱」を発症する馬鹿者も、もちろんたくさん居た。
「俺の秘密を教えてやるぜ」ジョン=エイブリーの場合
1888年11月12日月曜日の夜のことである。第11軽騎兵連隊の兵士・ジョン=カーベルがロンドン市北部のイズリントンの街角に立っていると、向こうから酔っ払った男がやって来た。
男はカーベルを捕まえると、こう言った。
俺は切り裂きジャックだ。俺がどうやるのか全部見せてやる。
カーベルは相手にせず、「立ち去れ、たわごとを言うな」と言った。しかし男はしつこく絡んできて、カーベルの首に腕を巻き付けてくる。必然的に取っ組み合いになり、カーベルは男に鼻をひっかかれたが、すぐに男を振り払った。
すると男は、今度はこんなことを言ってきた。
ビールを一杯持ってきてくれ。そうすりゃ秘密を教えてやる。金になるぜ。
そこで二人は連れ立ってパブに入るが、そこでも男は「自分は切り裂きジャックだ」と繰り返すばかり。こいつは警察に突き出した方がいいと考えたカーベルは、男を引きずり出し、近くで勤務中だった警官に預けた。
さて、翌日・11月13日火曜日、ロンドン市内のクラーケンウェル警察裁判所で、市内在住のチケットライター・ジョン=エイブリー43歳が裁判にかけられた。罪状は、「前日の夜に酔って暴れた」というものだった。
同裁判所の治安判事・ブロス氏とエイブリーのやり取りが残っている。
ブロス氏:きみは非常に愚かでよこしまなことをした。私は、きみのような行動を取って私の前に連れてこられた人間は全員、罰金なしで刑務所に送ることにしている。きみは重労働付きで14日間刑務所に入りなさい。
被告人:刑務所に送らねえでくだせえ。俺はだめになっちまう。罰金にできませんか?
ブロス氏:だめです。刑務所に行きなさい。
エイブリーは独房に移された(以上、『ザ・スター』1888年11月15日より)。酒は飲んでも飲まれるなと言うが、飲まれるだけでなく「切り裂きジャック熱」まで発症するとは言語道断(ごんごどうだん)である。
「スカートを穿(は)いたことは覚えていません」ジョン=ブリンクリーの場合
この奇怪な熱病のせいで、末代までの恥をさらす者も居た。
11月12日月曜日の夜遅く、警官がロンドン市内のゴスウェルロードで彼を発見したとき、男は自分の服の上から女性もののスカートを穿き、酔っ払っていたという。男の名はジョン=ブリンクリー、40歳のかつぎ人夫であった。
周囲には何人かの人がおり、ブリンクリーはこう叫んだ。
俺は切り裂きジャックだ。今夜シティロードを下って、そこでもう一仕事するぜ。
警官は彼を収監(しゅうかん)した。
クラーケンウェル警察裁判所で起訴されたブリンクリーは、「スカートを穿いたことを覚えていない、誰かが悪ふざけで穿かせたに違いない」と弁明した。なんともむなしい抗弁である。
なぜブリンクリーは、万人が馬鹿だと思う行為に及んだのであろうか?実は彼は、市内のコヴェントガーデンの市場で長年懸命に働いてきた男であり、看守も彼の勤勉さを知っていた。忙しい仕事への反動だったのかも知れない。
しかし、ブリンクリーは、たびたび愚かな行動を取って同裁判所で罰金を科されていた常習犯でもあったので、治安判事のブロス氏は容赦なく禁固14日を言い渡した。被告人は罰金にしてくれと懇願(こんがん)したが、治安判事は断固として拒否し、ブリンクリーは独房に連れて行かれた(『ザ・スター』1888年11月15日より)。
後悔先に立たずである。我々もブリンクリーから学ぼう。
「ぜんぶ歯痛のせいだ。」ジョージ=スウィーニーの場合
八つ当たりの仕方を間違えると、受ける必要もない罰を受けることになる。
11月12日月曜日の午後3時、27歳の労働者・ジョージ=スウィーニーは、ロンドン市内のボロウハイ通りで、酔っ払いながら「自分は切り裂きジャックだ」と叫んでいた。ロバート=ウェルシュ巡査が彼を見つけたとき、周囲には群衆が集まり大変な騒ぎになっていたので、巡査はスウィーニーに立ち去るように求めた。
すると、スウィーニーは巡査に対してこう言ったのである。
ほっとけ。 俺は切り裂きジャックだぞ。俺に手を触れてみろ、お前を切り裂いてやるぞ。
巡査は彼を収監した。
翌日、サザーク警察裁判所で起訴されたスウィーニーは、「ぜんぶ歯痛のせいだったのだ」と言った。彼は歯を抜くために病院に行ったが、すでに手遅れだったのだという。恐らく、痛みに耐えかねて酒を飲み、暴れたのであろう。もっとマシな八つ当たりの仕方はなかったのだろうか?
同裁判所の治安判事・スレイド氏は、男の行為は恥ずべきものであり、20シリングの罰金刑または14日間の重労働に処すると述べた(『ザ・スター』1888年11月15日より)。一人前の男なら自分の行動には責任を持ちたいものである。何かや誰かのせいにしてはいけないね。
「切り裂きジャック」を捕まえようとする人々
正体不明の殺人犯の逮捕に躍起(やっき)になったのは、何も警察ばかりではない。多くの素人たちが、憶測(おくそく)や迷推理や勇み足で果敢(かかん)に行動したのである。
アマチュア探偵の失敗
その日の早朝、ティリー巡査がロンドン市内ブラックマン通り警察署の外で勤務していると、市内のジョン=ニューマンという34歳の男が、一人の男性の襟首(えりくび)を掴(つか)みながらやって来た。ニューマンが言うには、その男性は「切り裂きジャック」なので収監して欲しいという。
ティリー巡査は、男性が近所に長年住んでいる立派な紳士であることを知っていたので、ニューマンに彼を解放するよう告げた。ニューマンは、いくぶん異議を唱えたものの男性を解放する。そして、家に帰った方がいいと巡査から言われ、その場を立ち去った。
ところが数分後には戻ってきて、家には帰らないといって巡査に楯突(たてつ)いたたため、巡査は彼を収監することとなった。
11月13日火曜日、ニューマンはサザーク警察裁判所で起訴された。罪状は、「酔って暴れた」であった。彼は厚顔(こうがん)にも、ティリー巡査を「自分を虐待した」として逆に訴えたという(『ザ・スター』1888年11月15日より)。この上恥の上塗りをするとは・・・。
1日に二度逮捕された男
疑う者が悪いのか?疑われる者が悪いのか?ある不運な男の話である。
10月11日木曜日、スコットランドのグラスゴーで、一人の市民が「怪しい男」を見掛けた。
彼は、男の「挙動にピンと来た」という。当時、「ホワイトチャペルの殺人犯」として既に複数の肖像画が公開されていたらしく、その市民は男が殺人犯に似ていると思った。

参考 当時の新聞に載った犯人と思われる男の肖像(『イラストレイテッド・ポリス・ニュース』1888年10月20日より)
すぐに警官が呼ばれ、男は逮捕された。その「不審者」は、「アメリカ人風の見た目で、痩せこけて死体のような顔つきをした男」だったという。ひどい表現である。彼は警察署で取り調べを受けたが、拘禁(こうきん)を正当化するものは何も見つからず、すぐに自由になった。
ところが3時間後、彼は気付いたらまた逮捕されていた。とある船長が埠頭(ふとう)の辺りをぶらついていた男に出くわし、その姿がどういうわけか彼の疑いを引き起こしたらしい。船長はロンドンの殺人犯を発見したと確信し、男をパブに招待し、彼と話をし、しかるのち街中をドライブしようとウソをついて男を辻馬車に乗せ、そのまま警察署に直行した。その行動力たるや脱帽ものである。
男はまたしても取り調べを受け、そして再び自由になった(『ピーターヘッド・センチネル』1888年10月16日より)。彼の風貌(ふうぼう)がよほど怪しかったのか、それとも単に厄日(やくび)だったのか。いずれにしても気の毒な話である。
実体なき任務~とある鍛冶屋(かじや)の珍道中~
11月12日月曜日の朝、シュロップシャー州シュルーズベリー近郊(きんこう)のラットリングホープ村で鍛冶屋の青年が仕事をしていると、見知らぬ若い男が声を掛けてきた。
男は青年に、自分をロンドンまで連れて行ってくれるよう依頼した。何でも、「切り裂きジャック」を捕まえるように命令を受けており、その仕事で多額の金が入る予定なのだとか。
男の話を信じた青年は、彼と同行しロンドンに向けて出発する。しかし、その旅の途中、男が次第に正気を失っていくのを目撃することになる。出発したときには気付かなかったが、男の精神状態は明らかに普通ではなかったのだ。
午後にロンドンに着いた頃には、男はすっかり狂気の様相を呈(てい)しており、二人は市内のプレード通りで警官に見咎(みとが)められる。一目で男の精神異常を見て取った警官は、彼を逮捕した。男の名はフィリップ=ガド=コーニッシュ23歳。ラットリングホープの教師だが、精神に異常を来してさまよっていた人物であるという。
翌日、市内メアリルボーン警察裁判所で男の審理が行われた。法廷に入る前、コーニッシュは叫び声を上げドアを蹴るなどの行動を取ったため、二人の警官によって連れ込まれた。裁判中も、金切り声を上げる・体を投げ出す・地団駄を踏むなどの行動を取り、目撃者の証言を妨害した。挙句、目撃者のことを「滅びの子(the son of perdition)」呼ばわりをし、真実を述べるよう要求したという。
治安判事のデ=ルッツェン氏は、コーニッシュを救貧院(workhouse)に連れて行くように指示した(『ザ・スター』1888年11月15日より)。
イングランドおよびウェールズにおいて自立して生活できない者を収容し仕事を与えていた施設(ウィキペディアより)

1780年頃建てられたナントウィッチのワークハウス
出典 Former workhouse at Nantwich, Cheshire, constructed in 1780/Espresso Addictを著作権者とする本作品のライセンスはCC BY-SA 4.0に基づく
若き男性教師の身に何があったのかは不明である。
おわりに
今回は、「切り裂きジャック」という一大センセーションに翻弄(ほんろう)される19世紀末の英国人の諸相を垣間見(かいまみ)てみました。ここに紹介したのはほんの一部であり、実際にははるかに多くの悲喜劇が巻き起こっていたはずです。
当時の新聞には、「Jack the Ripper Mania(切り裂きジャック熱)」という表現が見られ、その名の通り熱病のような社会現象が発生していたと思われます。模倣犯・愉快犯の出現や普段なら見過ごすようなことに過剰に反応する人々など、その様子は現代と全く変わるところがありません。
今回の話はたった三つの新聞記事から引用しており、極めて限定的な日付に起こった出来事なのですが、それでもこのバリエーションです。全体としてはどれほどの現象だったのかと想像力が膨(ふく)らみますね。
- “THE ‘JACK THE RIPPER’ MANIA. SOME COMICAL ARRESTS.” Peterhead Sentinel and General Advertiser for Buchan District October 16, 1888/ブリティッシュ・ニュースペーパー・アーカイブより引用(※検索無料、紙面閲覧は有料)
- ” ‘JACK THE RIPPER’ AT NEATH. AN EXTRAORDINARY SCENE.” South Wales Daily News October 29, 1888/同上
- ” ‘JACK THE RIPPER’ MANIA.” The Star November 15, 1888/同上
- Illustrated Police News October 20, 1888/同上