美人ダンサー殺人事件と幽霊騒動、万博の影で

心霊・超常現象

第一次大戦最中(さなか)の1915年、サンフランシスコでパナマ・太平洋万国博覧会が開催された。41ヵ国が参加し、会期中約1900万人が訪れたことが記録されている。

『日米新聞』によると、この流麗華美な祭礼の影で、とある怪談話が持ち上がっていたらしい。

幽霊話を伝える日米新聞の記事

桑博(そうはく)の幽霊噺(ばなし)
ー『日米新聞』大正4年4月5日

歴史的祭典の裏で、一体何があったのであろうか?

『日米新聞』は語る、舞踏娘の悲劇と無念の幽霊譚を

物語の主人公は一人の踊り子である。グルジアの民族舞踏・コーカシャンダンスの踊り手であったカザリン=ウォールドは評判の美人だった。その豊満な肢体(したい)と艶(つや)やかな双眸(そうぼう)で華麗に舞い、多くの若者を高ぶらせていたという。

そんな彼女を悲劇が襲ったのはある日の午後のことだった。4月5日付の『日米新聞』が先週月曜日と報じているから、3月29日のことであろうか。例によって華々しい舞を披露(ひろう)し、いよいよ佳境(かきょう)に入ろうとしていた時、轟然(ごうぜん)と一発の銃声が鳴り響いたのである。

イメージ発砲

カザリンは鮮血とともに倒れ伏し、たちまち辺りは騒然となった。悲劇の踊り子は、道理に外れた恋の犠牲になったのだという。

奇妙な噂が立つようになったのは、その夜からだった。薄気味の悪い糸のような雨が毎夜降り続くなか、生ぬるい風が吹き嫌な臭(にお)いが舞台に立ち籠(こ)めると、薄絹(うすぎぬ)を引きずるような音がして妖(あや)しい霊魂のようなものが現れるというのである。

イメージ幽霊

無念の死を遂げた踊り子の霊がさまよっているのであろうか?7,8人のダンス仲間も生きた心地がしないとの話である。

事件の実態と『日米新聞』との齟齬(そご)

『日米新聞』は「真偽は確かではないが」として伝えているが、この話はどこまで本当なのだろうか?

私が調べた限りでは、コーカシャンダンスの踊り手・カザリン=ウォールドが殺害されたという事実は見つけることが出来なかった。しかし、万博会場で働いていたダンスガールが射殺される事件は実際に起こっている。

引用 Pinterest

それがこちら、ザヒア=エディ殺人事件である。上の記事切り抜きは、サンフランシスコ歴史センターの『サンフランシスコ警察記録』に収録されているもので、この資料を基に同センターが事件についての記事を書いている。この記事によって、事件の経過と日米新聞との相違を見てみたいと思う。

ザヒア=エディ殺人事件

ザヒア=エディ(Zahia Eddie、Zaehaeie Eddy)は24歳のダンサーで、万博会場の娯楽エリア・Joy Zoneで働いていた。事件があったのは1915年3月18日の晩、9時30分公演の直前だったという。突然、彼女の兄が劇場に駆け込んできて、ザヒアを撃ったのである。

なお、この日は月曜日ではなく木曜日だった。日米新聞の伝える3月29日とは11日のズレがある。

彼女が働いていたのは、Joy Zoneのロシア劇場(Russian Theater)だった。

記事の見出し部分

※上の記事画像の拡大

この情報は、上の記事画像の見出しからも読み取れる。

ここで、日米新聞が事件の被害者はグルジアの民族舞踏の踊り手であると報じていたことを思い出してほしい。グルジアは旧ソ連の構成国の一つであり、1915年当時は帝政ロシアの一部だった。やはり、ザヒア=エディ殺人事件が日米新聞の記事の元ネタと考えて間違いないだろう。

何が殺人の動機となったのか?

悲劇的な事件を引き起こした原因は何だったのだろうか?

当時、ザヒアの元夫・アミーン=ルフティ(Ameen Lufti)が同じJoy Zone内でチケットもぎりとして働いており、彼は、ザヒアの劇場の隣のレストラン経営者・ジョセフ=サッソ(Joseph Sasso)が彼女に言い寄っていることに嫉妬していたという。ザヒアとアミーンは数か月前に離婚していた。

事件の前日、アミーンは万博会場のカイロ街(Streets of Cairo)でザヒアの兄・アイザック(Isaack、Isaac、Esick)に会い、彼に拳銃を渡したと伝えられている。アイザックも妹のジョセフとの交際を不快に思っており、後に警察に妹が彼との交際を諦めないので殺したと供述したという。

そう、事件の動機はザヒアの男性関係だったのだ。日米新聞が「道ならぬ恋の犠牲となった」と伝えているのは、おおむね正しい情報と言える。

歓楽の巷(ちまた)を一瞬で修羅場に変えた事件の様相

サンフランシスコ歴史センターがまとめた記事は、事件の詳しい様子を教えてくれる。

アイザックは最初レストランに行き、ジョセフ=サッソを襲い、彼を殴り、腕を撃った。その後劇場に入ると、ザヒアを見るなり撃ち倒したという。

目撃者の談では、劇場の外から銃声が聞こえ、その後アイザックが横の出口から入ってきて警告もなしに妹に一発発砲。ザヒアは彼が現れた瞬間悲鳴を上げ、「やめて!やめて!(Don’t! Don’t!)」と叫び、撃たれると同時にうずくまったという。

アイザックがさらに撃とうとしたところ、一人の男性が脇のドアから突入してきて、拳銃を殴り上げた。その後も発砲は続き、壁や天井に弾丸が撃ち込まれた。

これが、日米新聞が「修羅の境」と伝える事件の詳しい経過だ。事件後、アイザックは殺人罪で懲役9年の刑を受け、アミーンは共犯者として逮捕されたが、後に無罪となった。歴史センターの記事によれば、アミーンがどの程度事件に加担していたのか確信が持てなかったからだろうとのこと。

おわりに

今回は、万博の裏で起こった悲劇的事件の実態に迫ってみた。サンフランシスコ歴史センターの記事はこれ以外にも犯罪事件が起こったことを伝えており、やはり華やかな祭典には光と影の側面があるようだ。

結局、その後に幽霊話が流れたというのが本当なのかは分からないが、僕の考えではたぶん本当なんだろうなと思う。なぜなら、悲劇の犠牲者の無念を想像するのは、自然な人情だと思うからだ。

ところで、今回の『日米新聞』の記事は割と不正確な内容を載せていた。結構いい加減な情報を載せる新聞なんだろうか?もう少し色々な記事を読むと、この新聞の性格も見えてきそうだ。